俳句の会『船団の会』の同人誌です。代表は、坪内稔典氏。
この『船団』の第55号~第69号(15回連載)に掲載されたのが、谷さやン著『不器男と梅子』です。

芝不器男は、松野町出身の夭折の俳人として、全国の俳句ファンに親しまれています。
昭和3年、私の祖母である太宰文江と結婚し、太宰家の婿養子に入りました。幸せな結婚生活は
長くは続かず、昭和4年癌を発症し、昭和5年26歳の若さでこの世を去りました。

生涯に残した俳句は僅か175句でしたが、句風は古語を交えて、近代的な抒情味の中に幽艶を
感じさせ、「彗星の如く俳壇の空を通過した」と評されました。






不器男の生涯は短かったけれども、その波乱にとんだ生涯を、丹念にかつ熱く研究され、船団に
寄稿されたのが、谷さやンさんです。さやンさんは、会社勤めをされながら、船団の会で俳句を
勉強され、坪内氏に不器男の研究を本にしないかとすすめられたそうです。

忙しい合間をぬって休日に取材し、原稿を仕上げ、寄稿されたそうです。我が家や私達家族への
取材だけにとどまらず、東京にいる太宰の伯父のところまで行かれ、その熱心さには本当に脱帽
ものでした。その熱いエネルギーはどこから来るのかと思うくらいでしたが、さやンさん曰く、
『ただただ不器男の大ファンだから』とのこと。私達でも知らないようなことがたくさん出てきて
とても勉強になりました。

私達家族のことが掲載されているのは『不器男と梅子』(九)のところです。残念なことに、
『不器男と梅子』(一)の第55号を知人に貸していたら紛失されたようで、1冊かけてしまいました。

早くも家の周りでは黄金に光る三間米の収穫が始まり、8月もお盆を過ぎてから、急に秋めいて
きました。西側の庭にたわわに実がなっている銀杏も少しづつ色づいています。
昔、不器男と祖母の部屋があったところが今の私達の寝室になっていますが、部屋の窓から銀杏を
見上げ、句を詠んだ不器男の気持ちを少し考えてみようかなと思います。

   ―銀杏にちりぢりの空暮れにけり

                                                  by イサタケ2